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*14 パン職人への第一歩

 下宿先に新しい同居人が入った。名をトーマスと言った。月曜日の事である。
 私は簡単に挨拶を済まし、共用のキッチンやトイレなどを説明して回ると、リビングに戻って来た時に彼が急に何か飲む物を要るかと聞いて来たので、要ると言うと自分の部屋に戻り瓶のジュースを持って戻ってくるなり、私をソファーに座るように促しそれから二人で三十分程、自己紹介がてら会話をした。これが彼との出会いである。感じの良い男であった。翌日に控えた学校を前に、彼も私と同じように心を強張らせていたらしく、君と知り合えて良かったと言ってきたので私も同じように返した。こういった挨拶はドイツにおいて一般であるのだが、この時ばかりは随分心強い気持ちになった。

 学校へ通い始める最初の日が近付くにつれて、何か準備不足があるんじゃないかとあれこれ考えては不安になっていたが、前日ともなると心を落ち着ける以外に手の打ちようが無い事を悟り、荷物の準備をしたり、節目なので靴を磨いたりして時間を使った。


 そうして迎えた最初の日は、ここ最近で最も機嫌の良い空が広がった。学校までの五分程度の道程を、トーマスと共に歩く。桜が咲いているわけでもなく入学式があるわけでもないその道は、私の心をどきどきした童心に還す事も無かったが、それでも門出を賑わす特別な空気が漂っており、ひょっとすると傍から見た私の足や心は弾んでいたのかもしれない。

 学校に入ると、教室を指示する貼り紙があった。それに従い辿り着いた教室は、まだ二人の教師を抱えているのみで、ただ教室の広さを十二分に使い十四の空席が整然と並んでいた。

 私達は二人の先生に挨拶をし、最前列の教卓の真正面の席に腰掛けた。名前を確認され、どこから来たのかと問われたので、ミュンヘンから引越して来た事と働いていたパン屋を伝えた。すると一人の先生が何かを思い出したように「そこのパン屋には日本人の女の子が働いていたね。製パンコンテストをずっと一位で勝ち抜いてバイエルン(※1)代表として今度ドイツの全国大会に出るはずだったけど、、」という話をし始め、すぐに私はそれが恋人の話であると分かったので、現在日本にいる諸事情を説明した。まさか引越した先の思い掛けない所で恋人の話を聞いたのには驚いたが、ミュンヘンも同じバイエルン州に属す以上、風の噂よりも堅牢な連絡網が彼らを取り囲んでいると思えば不思議な事は無く、それよりも恋人が名を轟かせた事実に一際低い鼻を少し高くした。

 それから揃々と体格の良い者から気弱そうな者まで種種雑多な若者が教室に入ってくる中に、紅一点女性も一人混じっていたのだが、マスクをしていたもののどうもその姿に見覚えがあるような気がして休み時間に尋ねる事にした。

 私の予感は的中し、確かに私は彼女を過去に見掛けていたし、彼女もまた私を覚えていた。果たして彼女は、前述した、私の恋人が出場した製パンコンテストで二位の成績を収めていたその人であった。なんとも奇遇な縁に、さして関係が深くないまでも、顔見知りがクラスにいるという事実に私は人知れず心を丈夫にした。


 最初の日は学校や授業内容の説明、自己紹介や校内案内と言った所謂オリエンテーションだけであったが、先生はおろか生徒まで強いバイエルン弁で喋るもんだから、不十分な標準語しか搭載されていない私の頭は常に忙しがっていた。授業は無くとも人一倍働いた脳味噌に、息つく暇無く次の日から授業が始まった。朝一にいきなり抜き打ちテストが実施され、若干怯んでしまったが、現状で私の欠点が露になると思えば寧ろ好都合であった。

 それから実技の授業になったので、久しぶりに作業着に身を包んだ。かれこれ数カ月来ていないだけでも懐かしさと言うものは生まれる様である。同時に、やはり身の引き締まる思いがした。自分が何かになろうとする時に形から入るというのは、気合を入れる為には効果的なのかもしれないと、私もこの時同様に、普段の自分からパン職人に変身する気分を味わった。

 授業は、編みパンの御復習いで幕を開けた。実技の授業になると、先生の方言の強い喋り方は熱を纏い勢いを増した。そこで説明がてら紹介された六種類の編みパンは、過去に職業訓練校で何度もやっていた基本だったので、今更作り方を習わずとも理解している積でいた私は、それでも先生の手の動きと訛りの強い言葉に集中して観察していると、繰り広げられる説明と所作が寸分違わずに揃っている事に気付いた。口で言う通りの長さに生地は伸ばされ、口で言う通りの太さに生地は細り、口で言う通りの動きできちきちと生地は編まれていったのである。そんなの先生として当然だと言われればそれまでなのだが、私にはそれが魔法の様で、或いは魔法を超越した手工業の極を見た気がしたのである。

 一通りの説明を授け終え生徒は各々の作業場に散り、私も作業に取り掛かる。過去に何度もやってきた作業であり、決して難しい事のないシンプルな編みパンである。当然、編み方などは頭に入っている。ところがいざ果敢に編んだ私のパン生地は、先生の作ったそれとまるで異なり、そして私が脳内に拡げた完成図とも明らかに違っているのである。

 これまで私が過去に何度も繰り返し、出来るものと思い込んでいた作業は、それらしく真似る事が出来ると言うだけで、まるで技術が不十分であるという現実をまざまざと思い知らされたのである。詰めが甘いという己の弱点を面前に突き付けられたのである。もっと言葉を選ばずに言えば、私は容易に見えたその基本を甘く見縊っていたのである。


 つい先日、友人から孔子の言葉を教わった中にちょうど「異端を攻むるは、斯れ害あるのみ」という言葉があった。王道と呼ばれる基本を学ばずして別の道を進む事は害でしかない、という意味を聞いた私は、さも同意の如く大きく頷いていたのだが、今になってその同意を恥じる程、私は自分の頷く権利を持たなかった事実に落胆した。しかしこうしたタイミングにこの言葉を聞いた事は何かの縁である筈と、授業中直ちに心を入れ替え単簡な作業に集中した。


 翌日は、編みパンの応用的に飾りパンの練習であった。どんどん発展を見せる授業内容は目紛るしく、私に焦燥感を植え付けながらも、それでいて好奇心と向上心にも漏れなく働きかけた。清きモチベーションを持ち授業に臨む生徒と、それに全身全霊応えんとする教師に囲まれた空間で、その一瞬一瞬が私に刺戟を与え、教わる一つ一つが復習の様でまるで新しかった。

 自主性を持ち、先生の説明が終わるやいなや忽ち作業に取り掛かり、己の目的に向かい一心不乱で作業を進める生徒を目の当たりにし、様子を観察する内に少々出遅れた私は不図我に返り、彼らの積極性を自らにも取り込まねばならぬ事を悟り、これまた直ちに心を入れ替え己の作業に集中した。

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 幾つか初めての作業もあり、動きながら手順を立て直すなど決して順調な工程では無かったものの、斯くして飾りパンは細かい課題を隅々に残しつつも思っていたよりも上手く完成した。


 帰り道、家までの五分程度の道程をトーマスと歩く。一日中バイエルン弁を浴び続ける私の耳と脳はそれだけで過活性化されている筈であるが、疾風の如き飛び交う方言に我が標準語を差し込む事はおいそれとはゆかず、会話における不完全燃焼をこの帰り道に幾らか片付けられるだけでも救いであった。

 学校が終わると、毎日すぐにジョギングへ出掛ける私に、彼は「君には不精な日は無いのか」と聞いて来たので、冗談めかして勿論と言って大きい声で笑って見せたが、授業内容以前に立ち開かる障壁を前に不精している暇など無いのである。決して勉学に直結していないジョギングであるが、要するに精神的推進力の体現である。


 新しい環境に身を投げ入れ、授業の様子や私の実力などを一通り目の前に並べた所で、イースター(※2)の祝日になった。来週の月曜日まで休みである。その時間を使って私は学校から持って帰って来た練習用の生地で、基本の編みパンの練習に励む事にした。それ以外にも来週の授業の準備や予習等、挙げ出したらきりが無いのだが、とにかくイエスキリストを崇拝していない私は彼の復活を祝っている場合では無いのである。

 ところがそんな私の元に、大家がオスタークランツ(※3)と卵や兎を模ったチョコレートを皿に乗せて「良いイースターを」などと言って持って来てくれたのである。さて、イエスキリストの復活を祝っている場合ではない筈の男は、有難く笑顔でそれを受け取るなり、神の恵みを授かるが如く幸福感を味わった。全く都合の良い男である。



(※1)バイエルン/バイエルン州:ドイツ南東部の州。州都はミュンヘン。
(※2)イースター:復活祭。キリスト教において最も重要な祭とされる。
(※3)オスタークランツ:イースターに食べられる王冠型のパン。真ん中に卵が置かれる。(インスタグラムに写真載せておきます)


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*0-1 プロローグ前編

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